ファンタジー漫画日和(天河)

ご無沙汰しております。天河です。とりあえず生きてはおりました。

最近になって「マギ」という少年漫画にどっぷりハマりました。
一時期に比べて漫画もそれなりに読むようになりましたが、「マギ」はこれまでの漫画歴の中でも突出した熱中っぷり。
なにがあった、天河。ファンタジー嫌いと言ってたじゃないか、天河。

確かに王道ファンタジー漫画を読むのは、「ハーメルンのバイオリン弾き」以来十数年ぶりかもです。
ストーリーとキャラクターを本当に丁寧に作り込んでいるんですよね、「マギ」。一話ごとに内容がぎっしり詰まっている感じ。
重く、難しいテーマへストレートにチャレンジしている点も心が震えました。
今になって少年漫画に泣かされるとは思わなかったですよ。
おババ様やカシムに何回泣かされたことか…。

「マギ」の何が一番好きかって、「死」を安易なお涙頂戴にしていないこと。
「死」と「生」を意味あるものとして描く高いドラマツルギーは、ちょっと他の漫画ではお目にかかれません。

バルバッド編は、もう全編激アツだったなぁ。
ライバル対決ありキャラクターの成長あり、ストーリーの節目にあたるボスバトルあり…。
アリババは本当によくがんばったよ。帰還直前のアラジンの台詞もグッと来るんだ。
カシムの最期とかさぁ、バルバッドの復活とかさぁ……(思い出し涙なう)。
ひたすら燃えたぎりつつ読んでいて、「ああ、これはハーメルンのスフォルツェンド編と同じ熱さだ」と懐かしくなりましたなぁ。


先に挙げた「ハーメルンのバイオリン弾き」にも第一部の総決算にあたる章がありまして。
主人公の武器の破損と復活、主人公たちの内面の描写と変化、必殺技披露にライバル対決、大ボスバトルと見どころ満載でした。
正体を表したドラムに立ち向かうハーメルたちと、これを遠くから見守るサイザー。
で、見開きのアオりが「最後の戦いだ!」(※初版のみ?)。
当時の天河少年は、ドラム戦にひたすら燃え上がったもんです。
大ピンチ→思わぬ援軍も王道パターンですね(リュートの無意識の加勢ね)。
ハーメルが隠された力(魔族化)を発揮して勝つ展開も熱い。

ハーメルンのバイオリン弾き」と「マギ」は掲載誌が別で、内容も全く違いますが、
ひねくれ者の僕ですら胸を熱くしてしまう傑作という点は全く一緒でしょう。間違いない!


今回の記事は「マギ」と「ハーメルン」読んでない人には意味不明だな(笑)。

久々の(激極)

ブログ更新です。
3か月くらい間が空いてしまいました。
いえいえ、更新をさぼっていたわけじゃないんですよ。
これには込み入った事情ってものがあるんです。
そういう事にしてください。
世の中黙っている方が良い事だってあるんです。


とまあそれはさておき、久しぶりなので私、激極の駄文でも載せます。


回覧板で献血のお知らせがありました。
献血っていうと終わったらジュース飲めたり粗品もらったりってのが一般的でしょうか。
私の住んでいる田舎だとそれが精一杯ですね。
都会だともっと贅沢になっていて、DVD見放題だとかお菓子食べ放題だとか、ジュース飲み放題だとかetc

献血に来てもらうためにあの手この手で客(というのは適当ではないですね)を集めようという努力です。

「そこまでやるならいっそ献血してくれた人にお金渡せばいいんじゃねえの?」
という意見が上がってくるかもしれませんが、法律で禁止されているんですね、これが。
昔は売血は合法だったんですが、色々あって禁止されました。

↓参考までに
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%A0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S31HO160&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

じゃあパチンコみたいに三点方式にしてしまいましょう。

献血するとセンターから特殊な粗品がもらえる。

なぜかその粗品を買い取ってくれる店(古物商)が近くにある。

というわけで献血すると間接的にお金ゲット。


はい、パチンコの特殊景品の換金が賭博に当たらないように、
この三点方式も売血に当たらないので合法でーす…

なんてやっていると怖い怖い国家権力の皆さんから取調室に案内されてしまいますね。

実際、この三点方式を採用していたカジノが摘発されたことがありました。

合法だろうとなんだろうと、警察、元警察の皆さん(の中でも偉い人)のシノギを邪魔するととんでもない事になるよっていうことですね。


じゃあその献血時の特殊粗品を扱う組織を警察庁の外郭団体にして、
代表や役員を警察官僚のOBにやってもらう事にしたらどうなるんでしょう?

どうなるんでしょうね?



ところでこれ、何の話でしたっけ?


…まあ、とにかくあれなんですよ。
税金は政治家を食わすためにあるのではなく、高級官僚のためにあるんですね。


というわけで各省庁外郭団体と特別会計の関係については次回。


分かっておられるかと思いますがうそです。

十年のキセキ(天河)

毎度お馴染みの顔、天河でございます。
トロイメライ〉にもたくさんのアドバイスを頂いている我が師匠、さめじまさんと、先日、対談を収録して参りました。
皆さんお待ちかね、連続対談シリーズ「ま、お茶でも飲みながら。」の新作でございます。


僕がさめじま師匠と出会い、半ば押しかける形で弟子入りしてから十年が経ちまして。
今回は師弟十周年を記念してのスペシャルな対談となりました。
およそ二時間、十年間のことや、そこに行き着くまでのこと、
ふたりの奇妙な縁のようなものまでざっくばらんにお話しさせて頂きました。


十年前、師匠の運営するホームページのBBSに初めて書き込みをした日のことを、
僕は今でも昨日のことのように思い出します。
二十代に入ったばかりの若造(今でも若造ですが)だった僕は、
がむしゃらになるあまり、色々な面で空回りしておりました。
明らかに肩に力が入り過ぎている。なおかつ、発言が無意味に尖っていて痛ましい。
師匠と初めて対談をさせていただいたのも、十年近く前になるのですが、
当時は、とにかく師匠に嫌われたくないと気を張っていた憶えがあります。


十年経ち、それなりに、僕なりに、色々な経験を積んできました。
バリバリ成長しました!」なんてコトを書くと増上慢になってしまいますが、
さりとて何の積み重ねがないのも、人間としてどうかと言うわけで。
さすがに今では、対談の席でも最初の頃のように妙に緊張することもなくなり、
ガチガチな進行表に乗らなくともスムーズに話せるようになりました。
あるいはそれは、「馴染む」とも言い換えられるのかも知れません。


そう言えば、十年前は文章のテクニックなどを、さも得意げに、そして背伸びして語っていたフシもありました。
所詮は紙の上の知識なので、例えばテクニックの説明を披露しても、どこか厭らしさがあったと言うか。
人間、咀嚼できていない事柄を語るときほど小賢しく見えるもので、
十年前の自分を「小癪な!」と笑ってしまうくらいです。
それが、先日の対談ではありませんでした。
「こういう風に工夫をしているんですよ」と、実体験をもとにお話をさせて頂きました。
教本に書いてあるような「テクニック」ではなく、十年間、書き続ける中で見つけた「僕なりの工夫」。
そのとき僕は、初めて技術のようなものが身体に馴染んだ感慨を持ちました。


先日の対談の中で、師匠から「期待してるよー」と言って頂けました。
僕の積み重ねてきた十年間は、不器用だったかもしれないけど、
意義あるものだったと思います。


次の十年。これからの十年。
僕は、走り続けます。

小沢昭一さん(天河)

小沢昭一さんが亡くなった。満八十三歳没。
ご最期は病没でしたが、大往生と言えるのではないでしょうか。
冒頭で「亡くなった」と書きましたが、実際にお亡くなりになったのは、昨年半ば。
尊敬する方でありながら、記事にするのが大分遅れてしまいました。
小沢さんは実に多才で、博学の人。
俳優としての活動は勿論のこと、地域に根ざした様々な芸能、
それも郷土史にさえ埋もれてしまったものをも研究し、息吹を注いでおられました。
聞くところによれば、全国的に有名な猿回しが復古されたのも、
小沢さんの尽力によるものとか。
民間芸能に関する論文も発表されており、鬼籍に入られた今、
改めてその才能、行動力、功績の偉大さが偲ばれます。


僕の場合、いや、おそらく全国に散らばる同好の士の皆さんもそうであろうと信じていますが、
なんと言っても、ラジオパーソナリティ小沢昭一に慣れ親しんでおりました。
小沢昭一の小沢昭一的こころ」。まさに「小沢学」の決定版です。
ラジオと言えば、道路交通情報くらいしか興味のなかった人間で、番組編成にも明るくはないのですが、
小沢昭一的こころ」だけはチェックを欠かしませんでした。


小沢昭一的こころ」との出会いは、偶然の一言。
もう十年近く昔になりますか、たまたまラジオをつけたところ、
丁度、「小沢昭一的こころ」が放送されておりました。
軽妙なダミ声に、「宮坂お父さん」シリーズを始めとする滋味たっぷりな“演目”の数々…。
世の中にこんなに面白いラジオがあったのかと度肝を抜かれ、
すっかり小沢節のトリコとなった次第です。


現代の落語とまで絶賛される「小沢昭一的こころ」は、含蓄が豊かな点も特徴。
聴く側に考えることを求めるようなテーマですら小沢さんはユーモラスに語ってくださいました。
何せ小沢昭一と言う人は、昭和の文化の生き証人。
エノケン、ロッパと言う喜劇界の大偉人の逸話や戦前戦中戦後の芸能史まで、
ありとあらゆる昭和の歴史(それも教科書が教えてくれないコト)を
小沢昭一的こころ」の中で面白可笑しく披露しておられました。
エノケン坂本九さんを可愛がっていたことなんて、番組で初めて知ったくらい。
知識の泉のような番組でもありましたなぁ…。



小沢昭一的こころ」と言う番組の何が素晴らしいかって、聴き終えた後、いつだって心が温かくなること。
いつだって、どんなときだって。
それこそ病床からのメッセージですら、僕らの聴く側の心を温かくしてくれました。
そんな番組が、どれだけあるでしょうか。
笑える番組、ハートウォーミングな番組は数限りなくあるけれど、
心の底からジンと温かくなれるんですよ、小沢さんのダミ声を聴いていると。


そんな小沢さんだからこそ、本当にたくさんの人から愛されていました。
急逝の数日後、追悼特別番組「明日のこころだ! 小沢昭一について考える」が放送されました。
その内容が、本当に素晴らしい!
小沢昭一と言う人物を心から愛し、慕っていた人たちが
持てる限りの愛情と感謝を注いだと伝わってくる番組でした。
ファンサービスではなく、小沢さんへ捧げることだけを想って作られたその番組、
僕はただただ嬉しかったです。
ちょっとね、思い出すだけで涙が溢れてくるんですよ。
小沢さんゆかりの人々の談話といい、挿入される名場面のチョイスといい、
小沢昭一的こころ」ファンには、堪えきれない構成。
藤田恒美さんのアナウンスと、小沢さんの名調子で締め括ってくれたのも、
ファンとしては大喝采ですよ。
あれを超えるグランドフィナーレは、絶対に有り得ない。


小沢さんが亡くなった夜、天河家では両親と揃って小沢さんの話をしました。
激極のおっさんとも小沢さんの話をたくさんしました。
「世代を超えて愛される」とは、よく耳にするフレーズですが、
小沢さんと、「小沢昭一的こころ」は、まさにその王道だったのだと噛み締めたものです。
親子で話題を共有できるラジオ番組なんて、ちょっと他には考えられませんよ。


小沢さん、本当にありがとうございました。そして、おつかれさまでした。
小沢昭一的こころ」で学んだ多くのこと、小沢昭一と言う存在を僕は一生忘れません。
グランドフィナーレにも使われ、
また「小沢昭一的こころ」最大の名調子であったあの言葉を、
僭越ながら小沢さんに捧げたいと思います。


また明日のこころだ〜!
(※山本直純さんのお囃子に乗せて)

必然ということ(天河)

2月1日、天河真嗣でございます。
本当は半券さんあたりに登板していただこうとも思ったのですが、
今日も今日とてお馴染みの顔でございます。


先日来、半券さんの音頭(と言っても過言ではないでしょう!)で
トロイメライ〉のノベルティグッズの開発に着手しております。
「制作」ではなく「開発」。
全て手探り状態で進んでおります。
半券さんの熱意が迸り、開発に用いる機材や環境は一気に整ったものの、
まだまだ検証の段階にあるので、
具体的にどのような小物を作るのか、あるいは作れないのか、
それすら定かではありませんが、なにしろ半券さんの熱意がものすごい!
これは僕も腹括ってやるしかねぇな、と。


スタッフさんからの提案は、それがどんなに途方のないことでも、僕としてはまずチャレンジしてみたい。
だって、「こういうのをやりたい!」と言う希望や期待を台無しにしてしまうほど、
つまらないことなんてないじゃないですか。
成功なんてものは、ぶっちゃけ偶然にしか見つけられないし、訪れないものだけど、
成功の芽を育てようとする意思は、偶然に左右されるものではなく必然ですから。
必然としてある物を否定したら、そこには何も生まれやしませんよ。


トロイメライ〉は、大勢の必然の意思によって成り立ってます。

第16回脱稿しました(天河)

本日もお馴染みの顔、天河でございます。
先日、本編第16回の編集が完了しまして、
ホッと一息ついているところでございます。
編集の名のもとに、初稿の段階から数十頁くらい加筆が行われるわけですが、
毎回、これを一ヶ月前後で完成させていきます。
天河真嗣責任編集です。
最近は、大変に筆が乗っておりますので、大体、二、三週間で全て終わるようになりました。
こうして時間的な余裕を捻出しつつ、
シーズン2以降の初稿やコンテンツ拡大作業を行っております。
昨年12月からはトロイメライとは別の新作も手がけておりますので、
なんだかずっと筆を握っているような感覚さえあります(笑)。


今週末は、半券、激々極々両名と出かけて参ります。
トロイメライの企画展開について、
ちょっとした実験と言うか検証を行いたいと半券さんから要望がございまして。
比較的早い時間から出発です。
スタッフさんが能動的に動いてくれるのは、嬉しい限り。
僕もがんばらねば、とファイトを燃やしております。


どんな検証になるんかなー。
半券さんは、なにしろ底知れない人だから、
人間vs物の怪のデスマッチを検証だぁ〜とか言い出すんじゃないだろうか。


編集作業は、いよいよ第17回。
第17回をもちまして、シーズン1は最終回となります。
ストーリー的には、第16回との前後編のような構成となっております。
疾風怒濤の展開をお見逃しなく!
いや、ホント、ストーリーが進むにつれて、
どんどん群像劇が白熱&加速しておりますので!

謹賀新年(天河真嗣)

新年明けましておめでとうございます。
本年も〈トロイメライ〜その声を忘れないから〉をよろしくお願いいたします。
2013年の〈トロイメライ〉は、今までなくく白熱していきますよ!
いよいよシーズン1の佳境に突入です。
現在は第16回の最終決定稿を編集している最中ですが、
手前味噌ながら群像劇としての面白さがドンドン増しているように思います。
第16回なんて、あなた、
総勢60人以上のキャラクターが怒濤の勢いで登場し続けますよ。
えーと、マジで60人超えました(カウント済み)。
60人分のドラマが、たった一章で繰り広げられます。
群像劇が得意と公言している僕とて、
さすがにこれはキャパシティーの限界ギリギリ。
しかも、ただでさえ大所帯なのに、その中で新しい人間関係もどんどん生まれています。
アホですか、僕は? アホですね、僕は。
しかも、ものすごい量の殺陣もゴザイマス。
殺陣シーンは、そのほかの点描も含めて全3週に亘って掲載することになるかと思います。
60人分の群像劇をやりつつ、殺陣まで大増量。
アホでございます、アホでございます。
それでも第14〜15回の合戦回よりページ数が遙かに少ないのですから、
如何に合戦回が大変なのかがわかります(笑)。

つまるところ、〈トロイメライ〉にとって2013年は、戦(いくさ)の年と言うこと。
今年も〈トロイメライ〉は、加速していきますんで、よろしく!

以上、天河・ジェット・真嗣でした。