みんなの党ってもう全然マスコミからプッシュされなくなっちゃったね(激極)

この前、景信山って山に登ってきました。
ケツが重くて往生しました。
頂上で昼食をとった後すぐに雪に見舞われました。
まさか自分が住んでいるところよりも先に東京都で雪を浴びることになるとは。


はてさて、例によって例のごとく話のネタがありません。
今回も引き続き衆議院総選挙の話でもやりましょうか。


協力したり合流したりしたおかげでますますわけのわからない選挙になってきました。
国民の生活(よりも小沢先生の権益が)第一とどこかとどこかがくっついて、
鵺というかキメラというか、よくわからない政党が誕生しました。
言っては悪いけど寄せ集めですね。

って、前回の総選挙時の民主党も寄せ集めでしたけど。

各党の立候補者数を見てみますと、規模のでかい自民や民主ならともかくとして、
共産党が300人以上擁立できるってのはいかなるカラクリがあるんでしょうか?
政党助成金は受け取っていないってことなのに、一体どこから活動資金を得ているのか。
鳩山君のお小遣いで成り立っていた(大袈裟)民主党みたいな分かりやすい
資金源があるわけでも無し。
個人的には本当に謎です。

それにしてもその共産党
毎度毎度、選挙のたびにこれでもかって人数が出馬して、そのほとんどが落選、死屍累々。

まるで第二次世界大戦で参戦国中最大の戦死者を出したソ連みたいですね。
まあ、同じ共産党でも日本の方は勝っていないんですけれど。

しかし、ソ連ってもう約20年前に消滅したんですよねえ。
私としては「ちょっと昔は〜」から語り始められる程度なんですけど、
今の大学生にしても完全に歴史の教科書の中の話ですね。


ま、私の母親なんかは「ちょっと昔」っていうとベトナム戦争の時代ですけれど。


話がずれました。
いつもの事ですけれど。
天河君は民主党アメリカの)支持者ってことらしいので、
対抗して私は自由民主党(イギリスの)を支持したいと思います。



なんのこっちゃ

スタッドレスのスタッドとは何でしょう?

最近はかなり冷え込んできまして、
自分が住んでいるところは雨でもちょっと遠くの山には冠雪、なんて状況です。
明日にでも雪が降ってきてもおかしくないわけで、
そろそろスタッドレスタイヤに履き替えないと運転できなくなって往生してしまいそうです。

雪の降らない地方はスタッドレスタイヤ買わなくていいなあと思いつつ、
でも夏用タイヤの消耗が増えるわけだからその分タイヤ代はかかるのかなと思い直すと、
はてさてどっちが経済的なのか。

ま、答えは雪の降らない地方なんでしょうけれど。


話は変わりまして、
来月には総選挙が行なわれます。
実は総選挙、という言葉は衆議院選挙にしか使われないのです。
と偉そうに書いて間違っていたらどうしよう。

まあそれはともかくとしてまして、
雨後の筍のごとく(←使ってみたかった言葉)新党ができています。
今現在で14の政党が立候補しているんだったかな。
なにせ合流したり分裂したりでよく分かりませんね。
たった三日で消滅した太陽の季節、じゃねーや、太陽の党なんてのもありましたね。
国民の生活が第一、ですら「長い政党名だなあ」なんて思っていたのですが、
「反TPP・反原発うんたらかんたら〜〜」って覚えきれません。
っていうかお前ら党の名称じゃなくて公約にしろと、
仮に達成されたらお前らの党の目的って何よ、と。

インパクトを狙っているのかもしれませんが、どうせこんな長い名前にするなら
寿限無寿限無後光の擦り切れ、海砂利水魚の〜〜」とでもつけたらどうでしょうか。
投票で「寿限無」と略して書かれても得票できますよ。

「国民」とだけ書いて投票すると国民新党の得票になるそうです。
国民の生活が第一には票がいかないそうです。
無暗にひねった名前にしない方が良いってことですね。


こういう事ははるか昔、『徒然草』の中で
「昨今はとかく目立とうとして変わった名前を付ける人がいるが、
そういうのは良くない(かなりの意訳)」って感じで述べられているのに、
なかなか先達の意見は聞き入れられないんですねえ。




ちなみにタイトルの答えは「鋲」です、確か、たぶん、おそらく、きっと。

ローカルヒーロー(天河)

ちょっと放置気味だったので、
激極のおっさんかムッちゃんあたりが代打登板してくれるかなーと期待していたら、
全然そんなこともなく、実にシンプルに更新の間が空いてしまいました。
およそ三週間ぶりの登場も、お馴染みの天河真嗣です。


ここ最近、ダンマリ決め込んで何をしていたのかと申しますと、
まあ、当然の如く〈トロイメライ〉の原稿でした。
現在掲載中の第13回に続く14番目のエピソードを加筆修正し始めたのですが、
初稿では主人公の活躍がちょっと弱いなーと思いまして、それをフォローしようと考えたら、えらい筆が乗ってしまいまして。
気付いたら、100ページ以上の加筆量となっておりました。
もう書き下ろしの新作やんけ! 全然加筆の量と違うやんけ!
……と言うわけで、本来第14回と設定されていたエピソードを2回に分割し、
前後編でお送りすることになりました。
先ほど脱稿したのは、前編になります。分割された後編は第15回。
第15回はもうあらかた完成しているから、仕上げるまでそんなに時間は掛からないはず。
書き下ろしじゃないって、気が楽でいいね(だからもう加筆の量じゃないって)。



なんでしょうか、筆が乗ると100ページくらい軽く書き加えてしまうのは、
ある意味、悪い癖なんでしょうな。
どうせ新規書き下ろしをするならば…と、加筆分ではかなり冒険的な試みをしています。
はてさて、どうなることやら。


それとは別にローカルヒーローにまつわるアレコレを、ここ最近は調べておりました。
あくまで個人的な感覚、
それも好き嫌いを選り分けるまでもないレベルの話なのですけど、
ローカルヒーローに関しては、ちょっと食わず嫌いなところがありました。
激極のおっさんはローカルヒーローに詳しくて(図鑑も持ってます)、
僕なんかはローカルヒーローのネタと言えば彼から吸収したものが全て。
そこはかとなく漂うあざとさのようなものが肌に合いませんでした。
もうね、そんな風に考えていた頃の自分をブッ飛ばしたくなりますね。
厚顔無恥で不遜な自分に呆れます。


あのね、ローカルヒーローってすっげぇかっこいいんですよ。
僕が何に痺れたかって、変身スーツの造型とか本格志向の特撮とかではなくて、
作り手のみなさんの創作意欲、試行錯誤のエピソード。
時間、費用、物資、人材…製作に必要なありとあらゆる物が絶対的に不足している中、
作り手の皆さんは自分の持ちうる限りの力を出し尽くして、
それこそ採算なんて最初から度外視で、
目一杯、おらが村のヒーローを作り上げておられる。
しかもそこに自分なりのこだわりや趣味を盛り込んでいるわけで、
これはもう離れ業としか言いようがないんですよ。


そして、ふと冷静になったときに、
限られたモノの中で試行錯誤を繰り返して、色々な挑戦をしていくことは、
僕らと全く同じことじゃないか、と。
それを見落としていた自分がとても僕は恥ずかしくなりました。
ああ、なんて浅はかだったんだろう、と。
これでは、自分の活動を自分で否定しているようなものです。


そうして心を入れ替えてローカルヒーローに向き合ったときに、
僕はとてつもない勇気を貰えました。
僕らとさして変わらぬ境遇の中で創作活動をしている人たちが、
世間に受け入れられて、認められている。今や一世を風靡している。
こんなに励まされることはありません。
僕らももっと頑張ろう…とファイトが湧き起こります。


そんなこともあって、ついつい天河さん、頑張っちゃって。
100ページオーバーの加筆をしちゃったんじゃないかと自己分析しているわけですよ。
ものつくりに於いての一番の刺激は、
創作の世界で夢を追いかけている同好の士の力闘に触れること。


僕は震え立ちました。







尻に火がついた状態で


行政から助成金

マンガを読む量(天河)

珍しく激極のおっさんが連続登板となり、二軍から一軍へ復帰したばかりの凡田@グラゼニばりにベンチを温めておりました。
ご無沙汰しております、あなたの隣のヨゴレこと天河真嗣です。
「とうとう来るべきときが来たカ」と言う死亡説があったりなかったりと言う状況ですが、
どっこい生きてます、一応(一応かよ)。


うっかりちゃっかり「グラゼニ」って話題に出しましたけど、最近、妙に新しいマンガを読む機会が増えてます。
グラゼニって言うのは、モーニングで連載してる野球“年俸”マンガで激極のおっさんもご推奨。
普段、趣味の合わないおっさんと珍しく共有できる話題として、シフトアナーキズム内で重宝されてます。
おっさんとマンガの話をすると、大体、「ゴルゴ13」か、コミック乱のことになるもの。
それか「へうげもの」ね。
これは非常に大きな変化です。
マンガの展開についておっさんから最新情報を聴くなんて、殆ど初めてじゃないかね。
かれこれもう十年以上の付き合いになりますけど、マンガの趣味が合うこと自体、皆無ですから。
彼のほうから勧められてハマるマンガもあるにはあるんですけどね、「孤独のグルメ」とか。


あとはムッちゃんの影響で、「黒子のバスケ」ですか。
ジャンプマンガはほぼ卒業していて、せいぜい「銀魂」か「傷だらけの仁清(これはもう終わっちゃったけど)」を読む程度だったんですが、
ここに来て、ブームど真ん中のマンガを手に取ることになるとは。
さいとうたかを先生か、森田まさのり先生の作品ばっか読んでるクチなので、
これはもう革新的と言うしかない。全くありえない(笑)。


黒子のバスケ」で久方ぶりに直球な少年マンガを読んだのですけど、やっぱりこう胸を熱くしてくれますね。
若かりし頃はジャンプっ子であり、またジャンプで連載を持ちたいと夢見ていた身(当時漫画家志望)としては、
自分がそのように分不相応な憧れを抱いていた頃と少しも変わらない「ザ・少年マンガ」を「黒子のバスケ」に感じて、
なんとなく嬉しかったですね。


へそ曲がり故に変わり種なお話にばかり興味が行くのですが、
ここに来て「王道」の王道たる所以を再確認できたのは、個人的に大きな収穫でした。


また、「修羅の門〜第弐門」にもハマッております。
修羅の門」は小学生の時分からの愛読書なんですが、ヴァーリトゥード編で物語が途中で終わっていて。
作者も別の長期連載に入っちゃったもんだから、未完で終わるんかなーと寂しく思っていたのですが、
ここに来てまさかの復活!
そういやいなかった中国拳法の登場や、毅波秀明の二十五年ぶりの再登場、
どう考えても次の「四門」の餌食になりそうな山田(だって不破だし)の新登場など、
これまでずっと読んできたファンには嬉しい仕掛けが盛りだくさん。
激極のおっさんが愛好する「真島クン」も続編が爆(ば)ぜておりますので、
シフトアナーキズム内に新たな格闘技ロマンが吹き荒れてます。いや、勝手に僕が言ってるだけなんですけど(笑)。


あれ、これ全然まとまんないっつーか、完全に雑記だな。
たまにはいいか、こーゆーのも。

宗教学概論をかつて履修したようなそうでないような(激極)

仕事帰りに無性にラーメンが食べたくなったのでつけ麺を食べて帰った激極です。
誰かが「中国のラーメンは麺料理、日本のラーメンはスープ料理」と言っていましたが、
なるほどと思うところがあります。
ま、そんな事はどうでもいいわけですが。


さて、トロイメライ本編の方で宗教的儀式の記述があったのが原因で、
「オメーの宗教の知識をドヤ顔で書けよ、ああん?」と天河くんから脅された(誇張)ので、
なにか宗教について書いてみるってのも難しい。

別に宗教に詳しいわけでもないんですけどね。
諸々の事情で仏教関連の書物を読むことが時々ありますが、それが頭に入っているかとか、
それを踏まえて何か発展的な考えができるかとか問われれば、激極には不可能であります。

旧約聖書新約聖書コーランなんかも読むには読みましたが、
読んだということを自慢したかっただけなんで何の血肉にもなっていないような気がします。


まああえて何かいうならば、葬式仏教には断固反対したいものです。

仏教というのは本来宗教というよりは哲学的なものであります。
宗教とは「肯定する事」で、哲学とは「否定する事」という持論の激極ですが…
ってのは長いから省略。
ちなみに正しい使い方では割愛=省略ではないのでご注意を。

閑話休題

意味も分からない坊主の読経聞いて「ありがたやありがたや」なんて拝むのもばかばかしいですし、
高い金払って戒名なんてものを付けられるのも迷惑な話です。
親からもらった大事な名前があるのですから、
いちいち坊主が酒飲みながら適当に作った(偏見)戒名なんてものを
ありがたがっても仕方ないんじゃないでしょうか。
昨今では戒名を生成するソフトもありますし、卒塔婆に戒名を印刷するプリンタだってあるのに、
そんなものに何の価値があるんだって話です。

永代供養料≒墓地の賃料みたいなものになっていますし、
もっともわけのわからないのがお布施ですね。
「故人を供養する気持ち」という脅し文句で高い金を払わされます。
相場ってものがないだけに余計タチが悪いです。

魂や霊魂、極楽と地獄のようなあの世の存在、どれもをブッダは否定しているのです。
それなのに「祖先の霊が」とか「きちんと成仏うんぬん」などといってはカネを取ろうとするってのは、
壺とか印鑑とか買わせる霊感商法と何ら変わりのないものとしか私は思えません。

本当に故人を偲ぶ気持ちがあるのなら高い金をかける必要は無いはずですがね。


なんて書いてみましたが、葬式を上げないと気違い(←一発変換できない。困ったものだ)扱いされる田舎に生まれた者としては大変です。
ある宗教を信じる自由と同時に信じない自由も日本国憲法で保障されているのですが。


他人と違う自由を貫くってのは大変なものです。

ちなみに私は初期道教の信徒です(ウソ)

スパは温泉であってスパゲッティの略ではない(激極)

「朝の冷え込みがウンタラカンタラ…」という羽鳥アナを見ながら鼻で笑う時期がやってまいりました。
皆様いかがお過ごしでございましょうや。

私、激極は温泉活動の再開時期になりました。

今年の頭辺りに温泉についてこのブログで何か述べたような気がしないでもないですが、
特に何か意味のあった話ではなかったですね。
今回も別段意味のある話にはなりません。

温泉(とくに露天風呂)が好きな激極でありますが、
外が寒くない時期(だいたい半年)は温泉に行っても面白くないので自粛傾向です。
頭寒足熱という言葉とは関係ありませんが、頭に雪が降ってくるくらい寒い中で温泉に入るのが気持ちいいです。
であるからして、外で突っ立っているだけで汗をかくような気温の中で暑い温泉に入るなんてのは冒涜です。
何が何に対しての冒涜なのか分かりませんが、とにかく冒涜です。

六月中旬から九月半ばまでの「怒りと憎しみの三か月(by激極)」および、
その前後二十日間くらいの「怒りか憎しみの四十日(by激極)」を乗り越え、
ようやく穏やかな秋を迎えられたからこそ、リラックスして温泉に行けるというものです。

というわけで日が暮れたら突撃しま〜す(←某、将棋界の偉い人)



意味の無い話で終わるのもあれだから、
蕎麦について少し話そうかとか、三丁目の夕日に中指を突き立てたくなる気分とか、
その辺り適当に書き散らそうかとおもいましたが、
あれこれ考えながら風呂に入ったら全部脳内下書きが消えたのでこの辺で終了。

移ろい(天河)

先日、幼馴染みとメシを食いに行く機会に恵まれまして。
月並みではありますが、近況報告などを語らって参りました。


もう何年前になりますか…。
彼の結婚披露宴でスピーチを読ませていただくという大役を、不肖この天河が相務めまして。
小学生の頃から一緒にバカやってきた友人が白いタキシードで佇む姿は、
今、振り返っても感慨深いと言うか、不思議な心持ちと言いますか。
それはともかく、今回はダンナひとりの帰省で、奥様はご自宅でお留守番とのこと。
しかも、折悪く別の幼馴染みもその日は都合がつかないとのことで、必然的にダンナとサシ。
いつも誰かしら他の人間が一緒にいるので(ときどき激極のおっさんも居ます)、
マンツーマンで会うと言うのは、数年ぶりのことでした。


僕が車を出して、懐かしのゲーセンなどを回ってきたのですが、
彼と共有する想い出の場所は、どこもかしこも変わってしまっておりました。
先ほど話題に挙げたゲーセンは、施設の外見は当時と全く変わっていないものの、中身は全くの別物で。
僕らが落ち合って遊んでいた時分は、施設内を占める筐体の殆どが対戦ゲームやレースゲームのもの。
それに対し、現在はメダルゲームやネット対戦の出来る麻雀ゲームを中心に設置されています。
僕らが熱中した対戦格闘ゲームの筐体は、隅に隅に追いやられておりました。
一世を風靡した音楽ゲームですら、今や絶滅危惧種のような有様。


自分の趣味に合わないゲームが施設のキャパシティの多くを確保していることに対しては、
悪感情を持ったりはしないのですが、
なんと言いますか、時代の流れというものを強く感じた次第です。
同じ時間・想い出を共有する友人と一緒にいたから、余計にそう思ったのかも知れませんな。


そういや、ゲーセン事情が変わったことは、半年くらい前に師匠と遊んだときも感じたな。
師匠ともゲーセンへ行きましたが、そこでも何となく居心地の悪い疎外感と言うか、
「ああ、僕らの熱中した時代は、もう余韻としてしか存在し得ないんだな」と、
ノスタルジーな気持ちになったものです。