小沢昭一さん(天河)

小沢昭一さんが亡くなった。満八十三歳没。
ご最期は病没でしたが、大往生と言えるのではないでしょうか。
冒頭で「亡くなった」と書きましたが、実際にお亡くなりになったのは、昨年半ば。
尊敬する方でありながら、記事にするのが大分遅れてしまいました。
小沢さんは実に多才で、博学の人。
俳優としての活動は勿論のこと、地域に根ざした様々な芸能、
それも郷土史にさえ埋もれてしまったものをも研究し、息吹を注いでおられました。
聞くところによれば、全国的に有名な猿回しが復古されたのも、
小沢さんの尽力によるものとか。
民間芸能に関する論文も発表されており、鬼籍に入られた今、
改めてその才能、行動力、功績の偉大さが偲ばれます。


僕の場合、いや、おそらく全国に散らばる同好の士の皆さんもそうであろうと信じていますが、
なんと言っても、ラジオパーソナリティ小沢昭一に慣れ親しんでおりました。
小沢昭一の小沢昭一的こころ」。まさに「小沢学」の決定版です。
ラジオと言えば、道路交通情報くらいしか興味のなかった人間で、番組編成にも明るくはないのですが、
小沢昭一的こころ」だけはチェックを欠かしませんでした。


小沢昭一的こころ」との出会いは、偶然の一言。
もう十年近く昔になりますか、たまたまラジオをつけたところ、
丁度、「小沢昭一的こころ」が放送されておりました。
軽妙なダミ声に、「宮坂お父さん」シリーズを始めとする滋味たっぷりな“演目”の数々…。
世の中にこんなに面白いラジオがあったのかと度肝を抜かれ、
すっかり小沢節のトリコとなった次第です。


現代の落語とまで絶賛される「小沢昭一的こころ」は、含蓄が豊かな点も特徴。
聴く側に考えることを求めるようなテーマですら小沢さんはユーモラスに語ってくださいました。
何せ小沢昭一と言う人は、昭和の文化の生き証人。
エノケン、ロッパと言う喜劇界の大偉人の逸話や戦前戦中戦後の芸能史まで、
ありとあらゆる昭和の歴史(それも教科書が教えてくれないコト)を
小沢昭一的こころ」の中で面白可笑しく披露しておられました。
エノケン坂本九さんを可愛がっていたことなんて、番組で初めて知ったくらい。
知識の泉のような番組でもありましたなぁ…。



小沢昭一的こころ」と言う番組の何が素晴らしいかって、聴き終えた後、いつだって心が温かくなること。
いつだって、どんなときだって。
それこそ病床からのメッセージですら、僕らの聴く側の心を温かくしてくれました。
そんな番組が、どれだけあるでしょうか。
笑える番組、ハートウォーミングな番組は数限りなくあるけれど、
心の底からジンと温かくなれるんですよ、小沢さんのダミ声を聴いていると。


そんな小沢さんだからこそ、本当にたくさんの人から愛されていました。
急逝の数日後、追悼特別番組「明日のこころだ! 小沢昭一について考える」が放送されました。
その内容が、本当に素晴らしい!
小沢昭一と言う人物を心から愛し、慕っていた人たちが
持てる限りの愛情と感謝を注いだと伝わってくる番組でした。
ファンサービスではなく、小沢さんへ捧げることだけを想って作られたその番組、
僕はただただ嬉しかったです。
ちょっとね、思い出すだけで涙が溢れてくるんですよ。
小沢さんゆかりの人々の談話といい、挿入される名場面のチョイスといい、
小沢昭一的こころ」ファンには、堪えきれない構成。
藤田恒美さんのアナウンスと、小沢さんの名調子で締め括ってくれたのも、
ファンとしては大喝采ですよ。
あれを超えるグランドフィナーレは、絶対に有り得ない。


小沢さんが亡くなった夜、天河家では両親と揃って小沢さんの話をしました。
激極のおっさんとも小沢さんの話をたくさんしました。
「世代を超えて愛される」とは、よく耳にするフレーズですが、
小沢さんと、「小沢昭一的こころ」は、まさにその王道だったのだと噛み締めたものです。
親子で話題を共有できるラジオ番組なんて、ちょっと他には考えられませんよ。


小沢さん、本当にありがとうございました。そして、おつかれさまでした。
小沢昭一的こころ」で学んだ多くのこと、小沢昭一と言う存在を僕は一生忘れません。
グランドフィナーレにも使われ、
また「小沢昭一的こころ」最大の名調子であったあの言葉を、
僭越ながら小沢さんに捧げたいと思います。


また明日のこころだ〜!
(※山本直純さんのお囃子に乗せて)