移ろい(天河)

先日、幼馴染みとメシを食いに行く機会に恵まれまして。
月並みではありますが、近況報告などを語らって参りました。


もう何年前になりますか…。
彼の結婚披露宴でスピーチを読ませていただくという大役を、不肖この天河が相務めまして。
小学生の頃から一緒にバカやってきた友人が白いタキシードで佇む姿は、
今、振り返っても感慨深いと言うか、不思議な心持ちと言いますか。
それはともかく、今回はダンナひとりの帰省で、奥様はご自宅でお留守番とのこと。
しかも、折悪く別の幼馴染みもその日は都合がつかないとのことで、必然的にダンナとサシ。
いつも誰かしら他の人間が一緒にいるので(ときどき激極のおっさんも居ます)、
マンツーマンで会うと言うのは、数年ぶりのことでした。


僕が車を出して、懐かしのゲーセンなどを回ってきたのですが、
彼と共有する想い出の場所は、どこもかしこも変わってしまっておりました。
先ほど話題に挙げたゲーセンは、施設の外見は当時と全く変わっていないものの、中身は全くの別物で。
僕らが落ち合って遊んでいた時分は、施設内を占める筐体の殆どが対戦ゲームやレースゲームのもの。
それに対し、現在はメダルゲームやネット対戦の出来る麻雀ゲームを中心に設置されています。
僕らが熱中した対戦格闘ゲームの筐体は、隅に隅に追いやられておりました。
一世を風靡した音楽ゲームですら、今や絶滅危惧種のような有様。


自分の趣味に合わないゲームが施設のキャパシティの多くを確保していることに対しては、
悪感情を持ったりはしないのですが、
なんと言いますか、時代の流れというものを強く感じた次第です。
同じ時間・想い出を共有する友人と一緒にいたから、余計にそう思ったのかも知れませんな。


そういや、ゲーセン事情が変わったことは、半年くらい前に師匠と遊んだときも感じたな。
師匠ともゲーセンへ行きましたが、そこでも何となく居心地の悪い疎外感と言うか、
「ああ、僕らの熱中した時代は、もう余韻としてしか存在し得ないんだな」と、
ノスタルジーな気持ちになったものです。