宗教学概論をかつて履修したようなそうでないような(激極)

仕事帰りに無性にラーメンが食べたくなったのでつけ麺を食べて帰った激極です。
誰かが「中国のラーメンは麺料理、日本のラーメンはスープ料理」と言っていましたが、
なるほどと思うところがあります。
ま、そんな事はどうでもいいわけですが。


さて、トロイメライ本編の方で宗教的儀式の記述があったのが原因で、
「オメーの宗教の知識をドヤ顔で書けよ、ああん?」と天河くんから脅された(誇張)ので、
なにか宗教について書いてみるってのも難しい。

別に宗教に詳しいわけでもないんですけどね。
諸々の事情で仏教関連の書物を読むことが時々ありますが、それが頭に入っているかとか、
それを踏まえて何か発展的な考えができるかとか問われれば、激極には不可能であります。

旧約聖書新約聖書コーランなんかも読むには読みましたが、
読んだということを自慢したかっただけなんで何の血肉にもなっていないような気がします。


まああえて何かいうならば、葬式仏教には断固反対したいものです。

仏教というのは本来宗教というよりは哲学的なものであります。
宗教とは「肯定する事」で、哲学とは「否定する事」という持論の激極ですが…
ってのは長いから省略。
ちなみに正しい使い方では割愛=省略ではないのでご注意を。

閑話休題

意味も分からない坊主の読経聞いて「ありがたやありがたや」なんて拝むのもばかばかしいですし、
高い金払って戒名なんてものを付けられるのも迷惑な話です。
親からもらった大事な名前があるのですから、
いちいち坊主が酒飲みながら適当に作った(偏見)戒名なんてものを
ありがたがっても仕方ないんじゃないでしょうか。
昨今では戒名を生成するソフトもありますし、卒塔婆に戒名を印刷するプリンタだってあるのに、
そんなものに何の価値があるんだって話です。

永代供養料≒墓地の賃料みたいなものになっていますし、
もっともわけのわからないのがお布施ですね。
「故人を供養する気持ち」という脅し文句で高い金を払わされます。
相場ってものがないだけに余計タチが悪いです。

魂や霊魂、極楽と地獄のようなあの世の存在、どれもをブッダは否定しているのです。
それなのに「祖先の霊が」とか「きちんと成仏うんぬん」などといってはカネを取ろうとするってのは、
壺とか印鑑とか買わせる霊感商法と何ら変わりのないものとしか私は思えません。

本当に故人を偲ぶ気持ちがあるのなら高い金をかける必要は無いはずですがね。


なんて書いてみましたが、葬式を上げないと気違い(←一発変換できない。困ったものだ)扱いされる田舎に生まれた者としては大変です。
ある宗教を信じる自由と同時に信じない自由も日本国憲法で保障されているのですが。


他人と違う自由を貫くってのは大変なものです。

ちなみに私は初期道教の信徒です(ウソ)