365日(天河)

本日もお馴染みの顔、天河真嗣です。
前回の投稿から一ヶ月も時間が空いてしまいました。
この一ヶ月間は、なんと言いますか、公私ともに繁忙期でございまして、
勿論、<トロイメライ>の作業は抜かりなく進めていたのですが、
如何せんブログの更新に回せる余力を確保できず…。
とりあえず僕は今日も元気にこっぱずかしいお話を書いているですよ。
ちょっと疲れ気味だけどね。栄養ドリンクが欠かせない程度に。


前回の記事の最後で、次は天河作のバカキャラ・金茂について、
誕生秘話なんかを書くと宣言してはいたんですが、
それは次の機会に繰り延べまして、今回はちょっとだけ真面目なお話。


記事にするタイミングが十日ほど遅れてしまったのですが、
未曾有の国難として、今もまだ生々しく記憶に残る東日本大震災から
365日が経過しました。
発生当時、僕は社内でデスクワークをしておりまして、
最初の揺れの段階では、僕は地震ではなく目眩かと思ったのですよ。
しかし、どうも様子がおかしい。
社内に詰めていた大勢が同じ症状を訴えてくる。
天井から吊り下げられている部署名を印字したプレートへ目をやれば、
緩やかながらもはっきりと左右に動揺している。
そこでようやく地震が起きたことを把握したわけです。それも大きな地震が。


その先に起こった災害は、改めて反復するまでもありません。
発生直後から現在に至るまで、震災に関するニュースを逐一チェックし、
その都度、足りない頭がパンクするくらい色々なことを考えてきました。
あまりに考えすぎて、「情報を入れ替えないと、そっちがダウンするぞ」と
周りの人間から心配されることも決して少なくはなかった。
正直なところ、ときに感情的になって勇み足を踏むこともありました。
今にして振り返ると、なんと浅はかなことを…と自己嫌悪に陥りますが、
しかし、目の前で起こった大震災について、
本気で考えていくことだけはどうあっても手放したくありませんでした。


僕は直接的な被災者ではありません。
翌日未明に起こった大きな地震で被災する可能性はありましたが。
だから、被災された方の心情を本当の意味で汲み取ることは出来ないと思っています。
美辞麗句を差し挟む余地はありません。これは揺るがしがたい現実です。
わかったような顔をして寄り添おうなど、あまりにも無神経。
ある意味では冒涜のようにも思えてならないのです。
だから、「東日本大震災について考える」と言っても、
被災していない人間の立場でしかこれを実行することは出来ません。
直接的に被災していない人間が、震災についてもの申すことへ
不快感を持たれる方もきっとおられることでしょう。
それでも、僕は僕なりに、2011年3月11日に起きたことを
これからもずっと考えていきます。
支援の方法だけではなく、東日本大震災そのものについて。


被災地には数名ながら友人が暮らしております。
被災地を故郷にする友人だって何人もいます。
その人たちの生の声を聴く中で、様々なことを考えます。
あくまでも”被災していない立場として”。
その立場の人間にしか考えられないこともあるはずだと信じて。
現地の状況、仮設住宅で暮らす方々の情況、復興に向けた作業の現状。
それから、世間で騒がれているニュースと現地との乖離や、
ごく一部の心ない人たちによる、許し難い仕打ちも。


マチュアながら僕も物を書いている人間です。
何かを書く、何かを作ると言うことは、
突き詰めていくと、その「何か」を完成させるのに必要なもの、
本来不要なものについてまで考えて、考えて、考え抜くことなのかも知れません。


かつてアメリカで放送していたドラマ「ザ・ホワイトハウス」のスタッフたちも
DVDコメンタリーの中で話していました(脚本のアーロン・ソーキンだったかな…)。
9・11同時多発テロを境にドラマの現場も大きく意識が変わった、
変わらざるを得なかった、と。
9・11が発生した当時、「ザ・ホワイトハウス」はまだ放送の途中でした。
(発生時は、確かシーズン2と3の間だったと記憶しています)
その談話の内容は、僕にとって重い意味を持っています。
とてつもなく重い言葉です。


確実に物を書くことについての意識は変わっています。
震災に際して意識を“変えた”のではなく、“変わった”。
こればかりは自分でもコントロールの及ばない領域の話であり、
であればこそ、“変わった意識”と正面から向き合っていくしかない。
この365日の間に感じたことは、きっと作品に表れてくるのではないかと思います。
自分で考え抜いての結果なのだから、そのことに背を向けたくはありません。
自分の責任に於いて、形にしていきたいと思います。


東日本大震災の直後、現地に入っていた細川護煕氏は、
その後に一枚の絵を描き上げました。
永青文庫の展示会へ足を運んだ際にその絵を拝見する機会に恵まれたのですが、
東日本大震災と言う国難に当たって自分自身が考え、感じ、学んだものを
何らかの形にすることへ怖じ気づいてはならないのだな、と。
改めて考えさせられ、そして、身の震える想いでおりました。


振り返ってみると、「ザ・ホワイトハウス」でも
9・11に際して、「イサクとイシュマエル」と言う番外編を放送しておりました。
発生直後にキャストとスタッフが結集し、撮影を行ったそうです。
これは、何の罪もないアラブ系の人たちが謂われのない暴力を受けないようにと願う、
ドラマスタッフたちの配慮であったとも聴いております。


ものを書くこと。それを人に伝えること。
これまでも、これからも。
自分の力の及ぶ限り考えて考えて、考え抜いて。
僕は物づくりに注力していきたいと思います。