坂の上の雲(天河)

2009年から今年まで「坂の上の雲」と言うスペシャルドラマが
3部作全13回のスケジュールで放送されていました。
毎年12月に4〜5回ずつに放送し、
足かけ三年で完結させると言う変則的なスケジュール。


正直、第1回「少年の国」がスタートしたときには
未完のままで頓挫するのではないかと思っていました。
第1回のクライマックス、後の秋山真之正岡子規が港へ軍艦を見学に行くシーンは、
その壮大なスケールに終始圧倒されていました…が、
感動するのと同時に冷静な部分で「途中で予算が底を突くだろうなぁ」とも
胸算用をしていたんですよ。
だって序盤にお金を掛けすぎて終盤尻すぼみになるパターンは
大河ドラマで何度も何度も観てきたから。
おそらくこのドラマもご多分に漏れず終盤は予算不足に苦しむんだろうな…と。
制作者でもなんでもないくせにカネの心配をしてしまうくらい、
第1回で「坂の上の雲」が僕らに示したスケールは大きかった。


坂の上の雲」は明治初期から日露終戦までを取り扱っているのですが、
本当にリアルにあの時代の町並みを再現していました。
それまで紙の上の知識でしか知らなかった明治の光景が、
立体的に、かつリアリティをもって目の前に迫ってきたのですから、
そりゃあ驚くってもんです。
小道具ひとつを取り上げてもすごい。
マッチ箱の装飾からガラスの質感に至るまで当時のものを完全再現。
お陰で作品世界にすんなりと感情移入することができました。


ストーリーに関しては、司馬遼太郎先生の原作もありますし、
しかも、野沢尚さんの脚本作品(野沢さんはこのドラマの初稿を書き終えた後、
自ら生き終える道を選ばれました。つまりこれが遺作)。
文句のつけどころがありません。


特に第1部・青春編(実は僕はこの第1部が一番好き)は、
明治維新によって開かれた時代の扉に全身で飛び込み、
新たな世界を力の限り謳歌する真之たちの若くまばゆい姿に胸を熱くしたものです。


第2部で描かれた、広瀬武夫とアリアズナ嬢の悲恋も実に美しかった。
見目麗しいと言うことでなく、心の機微の描かれ方が秀逸だったんですよ。
広瀬は日本人、アリアズナはロシア人。つまり日露戦争で敵味方に別れるわけです。
日露開戦となり広瀬に帰国命令が出たときのアリアズナとのやり取りが本当に素晴らしい。
「いつか日本へ行けるでしょうか」と問うアリアズナに、
広瀬は「運命がそれを許すならば」と答える。
古き良き時代の、美しい心のふれあいです。
海軍軍人の広瀬武夫はロシア留学生。
ロシアのことを第二の故郷とまで呼んで愛していました。
広瀬は最終的にロシアとの戦いの中で戦死するのですが、
ロシア海軍もまたそんな広瀬を心から愛し、
亡骸を最大の敬意をもって丁重に弔ったと言います。
ドラマでもこの場面は再現されていまして(第2部最終回)、
涙もろい僕はもうずーっと泣きっぱなしでした。


余談ながら、ドラマでアリアズナを演じたマリーナ・アレクサンドロワさん、
先日、広瀬武夫の故郷を訪ねておられました。
記者会見の模様を拝見したのですが、広瀬とアリアズナの悲恋に心震わされた僕としては、
もうそれだけで目頭が熱くなりましたね。
「アリアズナの魂もきっと私と共にここに来ている」という
マリーナさんのコメントも本当に素敵で………。
ニュースを見たときは感無量となりました。


第2部・友情編では主人公のひとり、正岡子規が亡くなりました。
これはもう子規を演じた香川照之さんの熱演に尽きますね。
病没する子規を演じきる為に香川さんは体重を落として落として、
妹役の菅野美穂さんが思わず涙を流してしまうくらいガリガリに痩せ、
正岡子規の生涯を全うされました。
いや、本当凄かったです。
正岡子規の写真(肖像画?)は皆さんもご覧になったことがあると思いますが、
あの姿そっくりそのまま! よくぞここまで再現したと驚きました。
小さな家の中で病に蝕まれる自分と、軍人の命はどちらが尊いのかと
真之に訴える子規の懊悩は、死の足音こそ近づいてはいるけれど、
誰よりも何よりも生命に溢れていて、だからこそ悲しかったです。


ドラマでは日清戦争日露戦争と近代戦も描かれました。
中でも第3部・激闘完結編は二〇三高地の死闘や日本海海戦など歴史的な戦いが続き、
またその再現度に度肝を抜かれるばかり。
日本海海戦なんて日本海軍・連合艦隊バルチック艦隊をVFXとセットで
完全に再現してしまいましたからね。
NHK美術班の底力を改めて思い知りました。
(余談ながら、今回の「坂の上の雲」美術スタッフには
僕の尊敬する岡島太郎さんが参加されていました)


ただ、画の迫力のみで戦闘シーンを語るべきではないな、と考えたりして。
確かにNHKの総力を結集した決戦のシーンは空前のスケールなのですが、
そこに終始するのでなく、登場人物たちの心情に寄り添うと
もっと深みが増すとでも言いますか。
CGを駆使した迫力満点の戦闘シーンと言うのは、極端な話、映画でも作れます。
でも、登場人物たちと一緒になって経験を重ね、心情も彼らにしっかり寄り添って、
その上でクライマックスに臨むと言う感動は、単発の映画では絶対に為し得ないこと。
連続性のあるドラマならではの醍醐味で、それは蓄積と言い換えても良いかも知れません。


三年間、秋山真之たちと共に僕も明治を生き抜いた気持ちです。
なにしろ昨日が最終回「日本海海戦」。
総評はとても一言では表せないのですけど、あえて一つだけ挙げるとするなら、
坂の上の雲」は本当に美しいドラマだったな、と。


新時代がもたらした自由の美しさ。
国家そのものがまだ若々しさを持っていた頃の美しさ。
かけがえのない命の美しさ。
そして、日本人の美しさ。


さまざまな美しいドラマが重なり合い、一つの大きな流れとなって
僕らを明治と言う時代へ運んでくれていた、そんな気がしています。


坂の上にかかる一朶の雲は、僕にはとても美しく思えました。