SF書いてる人らしさ(天河)

と言うわけで、今夜も天河でございます。
執筆へ全力傾けつつ、その合間にアレコレ資料を読み漁る毎日ですが、
ぐるりと本棚を見回してみると、
自分でも意外なくらいサイエンスフィクション用の書籍が蔵書されていました。
他人事っぽく書いてますが、本当に持ち主自身にも意外な発見で。
そも僕の本棚って歴史関係の史料が全体の半分近くを占めている為、
他のジャンルの本があまりにも目立たない。
本を探すにしても「あれ、どこの棚にあったっけな」と目星はつくのですが、
具体的な場所を探し当てるまでに時間を要することもしばしばです。
勢力争いが歴史系の圧勝と言う状況にも関わらず、
科学系の書籍は明確に自己主張をしているではありませんか。


思えば、小学生の頃から雑誌(※漫画雑誌除く)と言えば、
ニュートン」や「ムー」ばかり読んでいたっけ。
「ムー」だって広い意味ではサイエンスの資料だよ。…資料ってことでいいですよね?
それはともかく、病院の待合室で読んだ「ニュートン」へ
ブラックホールを通ればタイムスリップも可能なのか。すげー!」とか、
タキオンってステスロスの専売特許じゃないんだ!」とか、
幼心に壮大なロマンを膨らませたものです。


僕の本棚にも「ニュートン」はたくさん納められています。
古代文明のロマンを植え付けてくれた「ムー」も山ほどあります。
ロマン一つあれば満足だった小さな頃から少しだけ変わったとすれば、
SFを書く為に必要なもの=SFをSFたらしめるガジェット等の立証の材料として、
例えば永久機関の理論であるとかトランスクリプトームの解説と言った、
より実務に即した資料本が増えていることでしょうか。
量子力学の資料を喜々として読むときがまさか自分に訪れるなんて、
あの頃の僕は夢にも思わなかったでしょうなぁ………。


二十年以上経った今でも僕はサイエンスの世界に
壮大なロマンを感じ続けております。