京都取材旅行始末記・2(天河)

と言うわけで、取材旅行記第2回目です。
毎度お騒がせしています、天河です。


京都御苑を出て次に向かったのは北野天満宮
今更説明するまでもありませんが、菅原道真公を奉る京都随一の神社です。
僕の出身中学は修学旅行先が京都・奈良でして。
定番のコースだった北野天満宮には、勿論その折にも参拝しています。
今回は十数年ぶりの参拝。
修学旅行のときには激極のオッサンも一緒だったなー(何しろ同級生)。
当時から僕は中身がオッサンで、激極は中身も外見もオッサンで、
なんと言うか、時の流れと言うものをあまり感じません。
普通、十数年ぶりとかだったら、そーゆー感傷が去来しそうなものなのに!
中学生なのに京都へ向かうバスの車中で「さそり座の女」を
熱唱していた男が感傷もへったくれもあったもんじゃありませんが(笑)。

おつむが可哀想な僕に智慧を授けていただけるよう道真公へ
一心不乱に大祈祷! …と言うのは参拝に赴いた目的の半分で、
もう半分は、かの有名な北野大茶会の折に細川忠興公が設けた
茶席「松向軒」の跡地を訪ねること。
跡地と聞いていたので一般公開されているものとタカをくくっていたら、
なんのその、しっかりばっちり残っていました(おそらく修築したものでしょうが)。
しかも、定例の茶会以外には一般公開されていないとのこと。
事前のリサーチではそこまで調べられなかった上に、
生憎とこの日は一般公開日でもなくて。
見せてくんなきゃいやだーいとか駄々を捏ねて食い下がっても
社務所に迷惑をかけるだけなので、次に参拝するときには
茶会の日に合わせようとひとまず諦めをつけました。
いよいよ本格的に茶の湯を習うときが来たか!
母が表千家茶の湯を習っていたので、下地はあるぜ、天河家!


道真公に大祈祷を捧げ、松向軒跡を塀の外から拝見してからようやくお昼。
京都に到着してから初めて口にするのは、参道で売っていたたこ焼きです。
外はカリカリ、中はふわふわと言う、まさに美味いたこ焼きの黄金パターン!
鍋を囲む仕掛人トリオばりにホフホフしながら頂きました。


そう言や、北野天満宮を散策しているときに小学校以来のツレから
メールが入ってたな。なにやら小学校の同級会をする模様。
折角だから電話をかけました。取材の為に京都にいるって話してやったら、
なんかすげぇ驚いてたな。
彼の中では僕は未だにインテリジェントでなくて直感勝負だったようです。
取材なんかクソ喰らえって言うタイプだと思われてたみたい。


次に向かうのは誓願寺
足利義輝の遺児で後に丹波で没した僧侶、覚山天誉の来歴について
取材を申し込んでいました。天誉が修行をしたのが京都誓願時なのです。
北野天満宮からの最速の径路を電話で確認したところ、
バスよりもタクシーのほうが安上がりとのこと。
京都市街を単独で旅行するのは初めてだったので、
鵜呑みにしてタクシーに乗り込んだのですが、これにはやられました。
格安っつったのに二千円もかかってんじゃねーか!
どう考えてもバスのほうが安いよ(※フリーパスのことをまだ知りませんでした)!


食事やホテル代以外ではこのタクシー代が一番デカい出費だったかも知れない。
バスはフリーパスを買ってしまえば、全然安上がりですしね。
いやでも、不満ばかりではありませんよ? 
社内は実に快適でしたし、運転手さんから京都にまつわる豆知識も
たくさん教えていただきました。
規模が縮小される前の北野天満宮が、どの辺りまで区画を占有していたのかも
教わりましたし、その豆知識が在りし日の松向軒を偲ぶ貴重な史料になりましたし。
一番感動したのは、都市伝説とばかり思っていた、


運転手「この辺りはこないだの戦争で焼けちゃったからねぇ」
天河「いつの戦争ですか?」
運転手「応仁の乱だよ」


…と言うやり取りを本当に体験できたこと(笑)。ラピュタは本当にあったんだ!
京都の運転手さんは、話を進める上で本当に応仁の乱を基準にしていて、
これはもう本当に面白かったです。正直、笑いを堪えるのが大変でした。
完全に破戒され尽くしたとばかり思っていた聚楽第の一部が、
非公開(解放日はあるそうです)で西本願寺に保管されていることも
運転手さんから教わりました。
二千円分の価値はありました。ありがとうございました、運転手さん。
でもやっぱり貧乏人には高くついたな(笑)!


さてさて到着しました、誓願寺
ところがここで思いがけないハプニングに見舞われます(次回に続く)。